芳しいキリストの香り
しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。(2コリント2:14-15)
「芳(かぐわ)しい」とはこう書くのかと、いま学んだ。
聖書は、漢字の勉強にもなる。
芳香剤とは、まさに芳しい香りを出すということか。
香りは人を元気づけ、また心和ませる。
パウロは、キリスト者は「芳しいキリストの香り」を放つ存在だと言った。
しかしこれは、芳香剤をふりかけるように、一朝一夕にはいかない。
多くの信仰の経験をとおして、徐々に熟成されていくものだろう。
「移り香」という言葉がある。
つねにそばにあることで、香りが移るのだ。
コーヒー店主は、コーヒーの香りがする。
いつもコーヒーに囲まれているからだ。
アロマセラピストは、アロマオイルの香りがする。
いつもアロマオイルにふれているからだ。
動物園の飼育員は、担当動物の香りが移るという。
いつも共にいるからだ。
ならば、「キリストの香り」は、いつもキリストと共にいることで移る。
わたしはそういう存在になりたいと、心から思う。
さてパウロは、恐ろしくなるような言葉も加えている。
滅びる人々にとっては、死から出て死に至らせる香りであり、救われる人々にとっては、いのちから出ていのちに至らせる香りです。このような務めにふさわしい人は、いったいだれでしょうか。(16)
キリストが現わされるところでは、人々は、「死」に向かうか、「いのち」に向かうか、に二分される。
その意味では、大変厳粛な香りでもある。
「務めにふさわしい人」について、パウロは続けてこう書いた。
私たちは、多くの人たちのように、神のことばに混ぜ物をして売ったりせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。(17)
アロマオイルは調合することでより魅力を増すが、キリストの香りに混ぜ物をしてはいけない。
みことばを否定しないものの、そこに余計なものを混ぜるといったことをしてはならないのだ。
それは、本物をおとしめる行為だ。
みことばをまっすぐに受け取り、まっすぐに証ししたい。
そして、キリストの香りを現す者となれるよう、祈りたい。
あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。あなたの愛は、ぶどう酒にまさって麗しく、あなたの香油は香り芳しく、あなたの名は、注がれた香油のよう。そのため、おとめたちはあなたを愛しています。(雅歌1:2-3)