みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

そのイエスが生きていると

「ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関すること、また死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのです。」(使徒25:19)

 

カイサリアに拘留されたパウロは、実に二年間も放置された。(使徒24:27)

新しく州総督として着任したフェストゥスは、パウロの裁判を再開する。

上の言葉は、彼がアグリッパ王にパウロの件を持ち出したときのものだ。

 

ところで、いまこうして『使徒の働き』を呼んでいるわけだが、あらためて面白いと思うと同時に、特殊な書という思いを強くする。

時系列的に出来事を並べながら、本章のように一見省いてもよさそうないきさつまで事細かに書いている。

使徒たちだけでなく、時の為政者などの言葉も、けっこう長々と書いている点が興味深い。

"ドキュメントルポ"のような感じだ。

 

著者は、ルカの福音書を書いたルカだ。

彼は医者であり、画家でもあったといわれる。

新約聖書の著者では珍しい異邦人だ。

ルカ伝の冒頭を思い出す。

 

私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。それによって、すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。(ルカ1:3-4)

 

このように彼は、「順序」や「確か」さ(以前の訳では「正確な事実」)にこだわった。

彼は、自分たちの信じていることが、たんなる迷信、伝説、宗教に成り下がるのを避けようとした。

克明なルポルタージュは、その現れではないかと思う。

 

ルカは、パウロと多くの時間を共にした。

このときもカイサリアで、パウロを助けていた。

 

(フェリクスは)百人隊長に、パウロを監禁するように、しかし、ある程度の自由を与え、仲間の者たちが彼の世話をするのを妨げないように、と命じた。(使徒24:23)

 

ルカの福音書はカイサリアにおける二年の滞在中に書かれた、という説もあるそうだ。

 

ルカの描写は、ときとして皮肉に富んでいる。

 

翌日、アグリッパとベルニケは大いに意義を正して到着し、千人隊長たちや町の有力者たちとともに謁見室に入った。そして、フェストゥスが命じると、パウロが連れて来られた。(23)

 

いまでいえば、マッサージ機能付きのセンチュリーに乗って来るようなものだろうか。

 

本筋とはそれてしまったが、こんなことにも注目しながら読むと、聖書はますます楽しい。

 

このことばは真実です。私は、あなたがこれらのことを、確信をもって語るように願っています。神を信じるようになった人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであり、人々に有益です。(テトス3:8)

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村