みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

悪霊につかれている男

こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。(ルカ8:26-27)

 

この男の救いの記事で、悪霊の性質についていくつかのことがわかる。

 

第一に、悪霊は死を慕う。

男は家ではなく、墓場に住んでいた。(27)

また、豚にはいることをイエスさまから許されたあと、悪霊は豚の群れを崖から湖に突進させ溺死させた。(33)

 

第二に、悪霊は人間では抑えられない強力な力をもっている。

 

汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。(29)

 

第三に、しかし悪霊は、イエスさまの権威に対してまったく無力である。

 

彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」(28)

 

この「ゲラサ人の地方」は、ガリラヤ湖の東岸に位置し、いまも崖があるという。

また、そこは異邦人の地でもあった。

彼らは豚がおぼれ死んだのを見て、イエスさまに「自分たちのところから離れていただきたい」(37)と願い、イエスさまはすぐに立ち退かれた。

 

ここで不思議なのは、わざわざ異邦人の地に行こうと言われたのは、イエスさまだったことだ。

 

そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。(22)

 

途中、命の危険を感じるほどの大嵐に遭いながら、向こう岸に着いたと思ったら、この「悪霊につかれている男」がいた。

彼を悪霊から解放して、すぐにまた、イエスさまは舟で帰られた。

つまり、たった一人の救いのために、イエスさまは「向こう岸」へ渡られたことになる。

 

わたしもまた、イエスさまによって救われたひとりの異邦人だ。

そしてイエスさまは、悪霊に対し絶対的な権威をもっておられる。

ハレルヤ。

 

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)

 

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。(エペソ6:12-13)

 

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