みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

神のことば

群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。(ルカ5:1-3)

 

湖の舟上から「神のことば」を語られるイエスさまと、咳一つしない静けさでそれに耳をすます群衆。

絵のように美しい光景だ。

 

福音書を見ると、イエスさまは、病人を癒すこと以上に、人々に「神のことば」を語ることを重んじられたように思われる。

 

しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」そしてユダヤの諸会堂で、福音を告げ知らせておられた。(ルカ4:43-44)

 

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。(マタイ9:35)

 

からだの癒しは一時的で表面的だが、「神のことば」は人を内側から変える。

 

エスさまのことばは、「権威」がありながら、同時に「恵み」に満ちていた。

人々は、そんなことばを、これまで聞いたことがなかった。

 

人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。(ルカ4:32)

 

みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。(ルカ4:22)

 

「イエスさまがおられる」と聞くや、だれもがわれ先にと話を聞きに向かった。

エスさまが語られる天の父、天の御国、罪の赦し、永遠のいのちといった話を、少しでも聞きたかったのだ。

エスさまも、飢え渇きをもって来る人たちを、喜んでお迎えになった。

 

ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来た。それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。(ルカ9:11)

 

わたしたちもまた、切なる思いをもって、主のみことばを聞こう。

飢え渇きをもって、聖書を開こう。

心から求める者に、主はかならず親しく語ってくださる。

 

あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります。みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを愛したからです。(詩篇119:129-131)

 

 

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