みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あなたが完全になりたいなら

エスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」(マタイ19:21)

 

この「富める青年」は、とてもまじめな人だ。

品行方正で、話しぶりも実にマナーをわきまえている。

いまでいう「一流ビジネスパーソン」だ。

 

けれども、心は満たされていなかった。

 

「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」(16)

 

富も得た、素晴らしい人間性も得た、教養も得た、人脈も得た、さあ今度は最高のゴールである「永遠のいのち」だ、というところだろうか。

 

上に、上に、上にと、積み上げていくありさまは、どこか「バベルの塔」を思い起こさせる。

 

そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。」(創世記11:4)

 

神が彼らの企てを止められたように、イエスさまは青年に、「あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい」(21)と語られた。

 

 

ともすれば、われわれキリスト者も、信仰者としての「自己実現」に陥ってしまいがちだ。

しかしそれは、土の器をますます塗り固めて、磨きをかけようとするようなものだ。

 

大切なのは器の中に入っている宝であって、器の良し悪しではない。

宝の光と香りがあふれ出すためには、器は磨かれるのではなく、砕かれなければいけない。

 

「何がまだ欠けているのでしょうか。」(20)

 

彼にとって必要だったのは、「欠け」が満たされることではなく、もっと「欠ける」ことだった。

 

青年は、イエスさまから「わたしについて来なさい」との最高の幸せにいたる招きをいただきながら、その場から立ち去った。

なんという悲劇であろうか。

 

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(2コリント4:7)

 

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(2コリント8:9)

 

 

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