七度を七十倍するまで
そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18:21-22)
イエスさまは、「七度を七十倍するまで」赦せ、と言われた。
何度でも赦せ、ということだ。
なかなかできることではない。
ここで注意したいのは、罪を赦すことと、罪をあいまいにすることとは違う、ということだ。
「また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。」(15)
罪を、たいしたことではないかのように扱ってはいけない。
と同時に、人の罪をいつまでも赦そうとしないのも間違っている。
イエスさまは、このあと、たとえ話をされた。
大借金を免除してもらった人が、その帰り道に、彼にわずかな借金のある仲間を見つけて返すよう迫り、牢に投げ入れた、という話だ。
とんでもない奴だと思うが、考えてみれば、これがわたし自身の姿なのかもしれない。
自分が、どれほどのことを赦されているか。
それなのに、どれほどのことを赦そうとしていないか。
多くのばあい、「赦せない」と思っていることは、そんなに大したことではなかったりする。
ちょっとしたメンツを潰されたとか、おもしろくないことを言われたとか、案外、そんなことであることも多い。
まずは自分がどれだけ赦されているかを十字架の前で静かに考えたい、と思った。
「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」(マタイ6:12)