わたしの心だ。きよくなれ。
イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。(マタイ8:3)
山上の垂訓が終わり、イエスさまと群衆が山から降りて来た。
そこに、ひとりの病人が現れた。
すると見よ。ツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言った。(2)
彼は重い皮膚病(ツァラアト)のせいで、社会から隔絶された状況で暮らしていた。
その彼が、群衆の中にとび込み、主の前まで進み出てひれ伏すのは、それだけでも勇気がいることだった。
しかし彼は、「いましかない。いまを逃したら、もうお目にかかれないかもしれない」と必死だったにちがいない。
脇目もふらず、イエスさまの前にひれ伏した。
極度の緊張、高鳴る鼓動、心からの叫び。
彼の声は上ずっていたのではなかろうか。
ひれ伏した彼には、主のお顔は見えない。
御足が近づいて来る。
つぎの瞬間、自分に触れる主の御手を感じた。
だれからも触れられることのなかった彼に、いま、イエスさまが触れておられる。
御声が聞こえた。
「わたしの心だ。きよくなれ」(3)
そして病はいやされ、なにより孤独から解放された。
彼の姿は、わたしたちひとりひとりの姿でもある。
ありのままで、切なる思いをもって、主の御前に進み出よう。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。(詩篇103:3-5)