みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

下がれ。サタン。

しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:23)

 

エスさまが弟子たちに、ご自分がキリストであることを明らかにし、エルサレムで殺され、三日目によみがえることを示し始められた。

 

するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」(22)

 

このペテロに対し、イエスさまは、「下がれ。サタン。」と、強い叱責の言葉を返された。

 

「下がれ。」という言葉は、英語の聖書をみると、「Get behind me.」と訳されている。

また、昔の文語訳では、「我が後(うしろ)に退け。」となっている。

 

つまりこの言葉は、「失せろ」というよりも、文字どおり、「後ろに下がれ」ということだ。

 

ペテロを叱責されたあと、イエスさまは、ご自身に従う者の心構えを説かれた。

 

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(24-25)

 

聖書には、従う者、すなわち「従者」という言葉とともに呼ばれる人物がいる。

モーセの従者、ヨシュアがその人だ。

 

主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。モーセが宿営に帰ると、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が幕屋を離れないでいた。(出エジプト33:11)

 

さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。(ヨシュア1:1)

 

ヨシュアは、モーセの忠実な従者として、旧約聖書に何度も登場する。

そこにあるのは、モーセが行くところにはいつも同行し、モーセのそばから離れず、モーセの手足となって仕える姿だ。

 

ヨシュアモーセを引き寄せていさめたり、「モーセ様、そんなはずはありません」と口答えした、などとはどこにも書いていない。

彼は、つねにモーセの後ろに一歩下がり、自分の考えは脇へ置いて、モーセモーセに語っておられる神に従ったのだ。

 

サタンは、わたしたちを主よりも前に進ませようとする。

「主よ、ちょっとこちらへ」、「主よ、そんなことがあるはずがありません」と。

主はそんなとき、「(わたしの後ろへ)下がれ。」と、おっしゃるだろう。

従者ヨシュアを、見習いたい。

 

「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシュア1:5)

 

 

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