口から出るもの
「口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」(マタイ15:17-20)
エルサレムからはるばる、イエスさまのところに来た人たちがいた。
パリサイ人や律法学者たちだ。(1)
その目的は、イエスを訴える口実を見つけることだった。
彼らは、イエスの弟子たちが食事の前に手を洗わないことに気づき、ニヤリと目配せした。
「あなたの弟子たちは、なぜ昔の先祖たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか。」(2)
イエスさまは、彼らの目論見を喝破し、見事に反論された。
「こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。」(6)
そのあと、弟子たちに教えられたのが、冒頭のみことばである。
この箇所をいま読むと、だれもがいまの“コロナ禍”を思わずにはおれないだろう。
今年にはいって世界中で猛威を奮う「新型コロナウイルス」。
わたしたちの生活に大きな影響を与えていることは、言うまでもない。
世界史的に見て、いまほど世界中が「衛生面」に気を使う時代はなかっただろう。
マスクなんて着けたこともない、うがいなんて知らない、といった国の人々までが、マスクを着け、手洗い・うがいを励行する。
もともと衛生習慣のあるわたしたち日本人も、入店時には手を消毒し、不用意に手すりに触っては「しまった」とあわてて手を離し、互いに距離をとり、人混みを避けようとしている。
異常といえば異常だが、致し方ないといえば致し方ない。
すべて、「口からはいる物」を徹底して警戒するためだ。
しかしイエスさまは、人を汚すのは「口からはいる物」ではなく、「口から(心から)出るもの」だと言われた。
読みながら、ふと思った。
わたしはいまウイルスを警戒するのと同じくらいに、「口から(心から)出るもの」を警戒しているだろうか、と。
ウイルスが肉眼では見えず、感じることもできないように、「悪い考え」もわたしたちがまったく気づかないうちに心のなかに巣くうのだ。
ウイルスも怖いかもしれないが、それよりはるかに怖いのは、「口から(心から)出るもの」なのだよと、イエスさまはおっしゃるのではないだろうか。
現に、このウイルス禍のなかで、人々のすさんだ心が表立ってきたといわれる。
いやがらせ、いじめ、ののしり、揶揄、軽口、批判、喧騒、猜疑心・・・・。
これらは、ウイルスよりも人の心を病ませているのかもしれない。
わたしたちは、自分の内側から出るものにこそ細心の注意をはらい、「心の衛生面」に気をつけたいものである。
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。(箴言4:23-24)
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。(エペソ4:29)