みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

彼らといっしょに立っていた。

エスを裏切ろうとしていたユダも彼らといっしょに立っていた。(ヨハネ18:5)

 

武装した兵士や役人たちが、イエスを捕えるために押しかけて来た。

十二弟子の一人で、イエスの居場所を密告したユダも「彼らといっしょに立っていた」。

 

わたしは、思う。

このときユダはどんな目をしていたのであろうか、と。

憎悪か、恐れか、それとも正義感か。

 

いずれにせよ、三年もの間、イエスさま、そして十一人の弟子たちと寝食を共にし、多くの祝福された時間を過ごしたはずの彼が、「彼らと」、すなわち主に敵対する者たちと、「いっしょに立っていた」。

 

エスさまは無力にも捕えられ、連行された。

 

このあと、冒頭の句と同じような記述が出てくる。

 

ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた。(18)

 

エスが捕えられようとしたときは勇敢にも剣を抜いて立ち向かったペテロが、数時間もしないうちに、「彼らといっしょに」立っていた。

そして、イエスの弟子であることを三度も否定した。

 

二人について、福音書はこう記す。

 

それで、彼(ユダ)は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。(マタイ27:5)

 

そうして、彼(ペテロ)は出て行って、激しく泣いた。(マタイ26:75)

 

その後ペテロは主の恵みによって悔い改めに導かれ、使途ペテロとして生涯を全うする。

しかしこうして見ると、この時点では、二人の違いはほんの紙一重であったように思える。

 

わたしは、きょう、どこに立っているか。

そして、だれと立っているか。

ユダとペテロ、二人の姿をとおして、そんなことを思わされた。

 

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。(詩篇1:1-2)

 

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。(2コリント7:10)

 

 

 

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