よみがえりです。いのちです。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。」(ヨハネ11:25)
そのとき、ラザロが墓に入れられて、すでに四日が経っていた。
つまり、ラザロは確かに死んでいた。
「あなたの兄弟はよみがえります。」(23)
出迎えたマルタが、この主のことばを聞いても、遠い「終わりの日」のできごとと受けとめたのも無理はない。
「ラザロよ。出て来なさい。」(43)
布で巻かれた死人が墓からゆっくりと姿を現したとき、人々の驚きはどれほどであったろう。
あまりの信じがたいできごとに、みな、声も出なかったのではないだろうか。
イエスさまを信じる者たちは、この主のいのちにすでにあずかっている。
よみがえりのいのち、死ぬべきものに打ち勝ついのちだ。
それは遠い将来の約束ではなく、今日の日の大いなるみわざだ。
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(2コリント4:16)
当時の人々を驚愕させた主イエスのいのちは、今日、わたしたち信じる者にも生き生きと注がれている。
そのことを素直な信仰の手で受け取り、主を見上げて、立ち上がろう。
「また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(26)