神のわざ
「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネ6:29)
人々は、「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」(28)と尋ねた。
これに対し、冒頭のことばをもって、イエスさまは答えられた。
主がいわれた「神のわざ」は、二つの面から受け取ることができる。
ひとつは、わたしたちが行なうわざとして「信じる」こと。
もうひとつは、神が行なわれるわざの結果として「信じる」こと。
どちらの面も、信仰において欠くことのできない大切なものであるが、特に神が行なわれるわざとして受け取るときに、わたしは安堵し、感謝せざるをえない。
「わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。」(44)
奇跡的にも、主を信じるようになった。
父が引き寄せられたからだ。
まだ信じることはできなくても、イエスさまに、聖書に、無性に惹きつけられる。
父が引き寄せておられるからだ。
聖書の話など聞きたくもないのに、とげが刺さったように、無視しきれない。
父が引き寄せておられるからだ。
とにかく祈らないではおれない、つらく、苦しいなかにある。
父が引き寄せておられるからだ。
父は実にいろいろな方法で引き寄せられるが、それなしに、だれ一人としてイエスさまを求めたり、信じたりはできない。
自分で何事かをなそうと力むのではなく、神が行なわれるわざとして、主を信じ、ゆだねたいものだ。
あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。(エペソ2:5)