みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

祈るために山に行き

このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた(ルカ6:12)

 

福音書には、イエスさまがひとり祈っておられたという記述が、しばしば出てくる。

 

しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。(ルカ5:16)

 

あるときは山で、あるときは荒野で、祈られた。

人々から離れて完全に一人きりになる時間、いや正確には、御父と二人きりになる時間を、たいせつにされた。

それが何よりの喜びであり、すべてにまさって必要でもあったということだろう。

 

冒頭の箇所では、この祈りのあとに、十二弟子を任命された。

重要な決定を、御父と重々に相談したうえで、下されたのだ。

 

また、イエスさまは、つぎのように言われたこともある。

 

「子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。」(ヨハネ5:19-20)

 

「わたしは、自分からは何事も行なうことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。」(ヨハネ5:30)

 

エスさまは、すべてのことを、御父から聞き、示され、そのとおりに行なっておられた。

祈りなしには、イエスさまは何事もできなかったのだ。

 

わたしは、イエスさまのように、神に祈りながら夜を明かしたことはない。

しかし、イエスさまの祈りの心を、少しでも知りたいと思う。

エスさまにとって、祈りがどれほどたいせつなものだったか、その一端でも知りたいと思う。

 

「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:6)

 

 

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