父が子を愛して
「父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。」(ヨハネ5:19-20)
ヨハネ伝5章でイエスさまは、ご自分と御父の関係について、多くのことばをもって明かしておられる。
ご自分は父に完全に従属しておられ、何事も自分勝手には行なわず、すべて父のなさることを行なっていると、語られた。
「子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分から何も行なうことができません。」(19)
「わたしは、自分からは何事も行なうことができません。」(30)
その従属関係は、たんなる主従関係ではなく、「愛」に根差したものだとも。
「父が子を愛して・・・」(20)
この“親子”は、麗しくも強力な「愛」で固く結ばれている。
それはイエスさまが神ご自身を「わたしの父」(17)と親しくお呼びになったがゆえに、ユダヤ人たちからひどく反感をかったほどだった。
このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが・・・ご自身を神と等しくして、神をご自分の父と呼んでおられたからである。(18)
御父はなぜ、御子にすべてをお示しになったのか。
「愛」のゆえだ。
御子はなぜ、御父に完全に従われたのか。
それも「愛」のゆえだ。
そうしなければ“いけない”からではない。
そうしないと“罰せられる”からでもない。
愛するがゆえに父は子にすべてを示され、その愛ゆえに子も父にすべて従われた。
なんという“親子”の姿か。
この親子が万物の創造主であり、いっさいの根源であり、目的であると、聖書は告げている。
ほんとうに驚くべきことだ。
そして、すばらしいことだ。
万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。(コロサイ1:16)