旅の疲れ
イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。(ヨハネ4:6)
神の子も、「旅の疲れ」をおぼえられた。
いっさいの権威をお持ちの方が、「疲れ」ておられた。
もしかすると、「よっこらしょ」とでもおっしゃったかもしれない。
これは、わたしたちにとって大きな慰めではなかろうか。
主も、わたしたちとまったく同じ肉体を持っておられたということなのだから。
翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。(マルコ11:12)
ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。(マルコ4:38)
罪は犯されなかったが、わたしたちと同じ疲れや痛み、弱さを知っておられたのだ。
と同時に、このヨハネ伝4章では、それらを克服する秘訣についても教えてくださっている。
「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。」(14)
「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(34)
わたしもまた、弱く、疲れ、渇きやすい者だ。
主はそのことをよくご存じのうえで、力づけ、励ましてくださる。
主イエスさま。
あなたは、わたしと同じように疲れ、弱さを知っておられました。
それだけでも、大きな慰めです。
そして、渇くことのない水、まことの食物についても、教えてくださいました。
御父のみこころを行ない、みわざを成し遂げることが食物であるという、そのお言葉の意味を少しでも知ることができ、力強く地上の生涯を歩みとおすことができるよう、お助けください。
アーメン。
「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マルコ14:38)