上から来る方
「わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。」(ヨハネ3:11)
イエス・キリストは、「知っていること」「見たこと」を証しするために来られた。
聖書のどこにも、キリストが真理を探究したとか、それを見出そうとして苦行したという記述はない。
それどころか、「わたしが・・・真理である」(ヨハネ14:6)とまで言われた。
では、どこから来られたか?
「上から」「天から」であると、この章だけでもくり返し語られている。
「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です」(13)
上から来る方は、すべてのものの上におられ、地から出る者は地に属し、地のことばを話す。天から来る方は、すべてのものの上におられる。(31)
ヨハネの福音書は、キリストが真理の証しのために、天から来られたお方であることを、強調している。
人間から、つまり地から生ずるすべての思想、哲学、価値観、宗教と、聖書の福音の根本的な違いがここにある。
前者が地から、すなわち下からであるのに対し、後者は天から、上からだ。
主の御名をほめたたえます。
主は天から人となって、この地上にまで下って来てくださった。
神を証しし、見せてくださった。
ハレルヤ。
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハネ1:18)