商売の家
「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネ2:16)
イエスさまは、神の宮で商売していた者たちを追い払われた。
両替台をひっくり返したというのだから、その勢いたるや、すさまじかったことだろう。
この記事をみて、「キリストは商売をさげすむ不届き者である」と結論づける向きもあるが、それはあまりに浅はかな見方だ。
イエスさまは、商売を軽視したのではない。
彼らの“欲”に根差した厚顔なあり方を、見抜かれたのだ。
そこは本来「祈りの家」であるはずだった。
主の前に静まり、悔い改め、満たされる場所だ。
ところが、神を忘れて、“欲”を肥大化させる場所となってしまった。
このあと、イエスさまは、
「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」(〃19)
と言われた。
この神殿とは、「ご自分のからだの神殿のこと」(〃21)と説明されている。
聖書によれば、キリスト信者のからだは「神殿」である。
わたしは、それを「商売の家」にしてはいないか。
「祈りの家」としているか。
いまいちど静まってみたいと思った。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり・・・(1コリント6:19)