みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

放蕩や深酒やこの世の煩い

「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。」(ルカ21:34)

 

ルカ伝21章では、終末の時の前兆について、イエスさまが多くのことばで語っておられる。

そのときに備えて、気をつけておくようにと、警告された。

 

それによれば、わたしたちの「心」は「沈み込む」危険がある。

神を見失ってしまうということだろう。

そしてその要素として、「放蕩」「深酒」「この世の煩い」の三つを示された。

 

「放蕩」とは、欲望優先で、この世の楽しみを追求する生き方だ。

この点について、パウロはこう書いた。

 

衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(1テモテ6:8-10)

 

「深酒」とは、現実逃避だ。

 

また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。(1テサロニケ4:11-12)

 

「この世の煩い」とは、現実に束縛されることだ。

 

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6-7)

 

エスさまは、確実に戸口に近づいておられる。

この終わりの時に、欲望や、現実逃避や、現実に束縛されることに沈み込むことなく、主を待ち望みながら、慎み深く生活したいと思う。

 

「これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」(28)

 

 

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