人がひとりでいるのは良くない
また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2:18)
神は、六日間かかって世界を創造され、大いに満足された。
神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。(創世記1:31)
ただその中で、ひとつだけ「良くない」ことがあった。
それは、「人がひとりでいる」ことだった。
すべてのものを見て「非常に良かった」と喜ばれた神が、ただ一点、「人がひとりでいるのは良くない」と思われたのだ。
「んー、なんかイマイチ、何か違うなー」といったようなものではない。
はっきりと、「人がひとりでいるのは良くない」とされたのだ。
当たり前のことだが、人はひとりでは生きていけない。
にもかかわらず、いつの間にか“ひとりで”生きようとしてはいないだろうか。
なるべく人と関わらず、なるべく自分の時間を優先し、どこか肩肘張って、どこか諦めて生きる。
もともとわたしも、そういうタイプだった。
基本的にはいまもそうなのだが、幸い、結婚を通して、ひとりでいる世界とは違う生き方を知ることになった。
神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。(21-22)
女は男から、男の助け手として造られた。
これが聖書の示すところだ。
いまなら、時代遅れだとか、女性蔑視だとか、いろんな声が上がるだろう。
しかし、これが神の創造の順序であり、秩序だ。
そのことを受け入れるときに、人は幸せな夫婦になれるのだと思う。
若きキリスト者の兄弟姉妹が、主にあって幸せな結婚に導かれるよう祈る。
人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。(23-24)