わが愛する者、私の美しいひとよ
私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。」(雅歌2:10)
娘は「あの方」に恋い焦がれ、そのみそばにいることを何よりも幸福に感じる。
私の愛する方が若者たちの間におられるのは、林の木々の中のりんごの木のようです。その木陰に私は心地よく座り、その実は私の口に甘いのです。(3)
まるで印象派の絵のようだ。
あの方は私を酒宴の席に伴ってくださいました。私の上に翻る、あの方の旗じるしは愛でした。(4)
旗印はその組織の象徴であり、最も重んじるテーマだ。
たとえば新選組は、「誠」であった。
ここに出てくる「あの方」の旗印は、「愛」だという。
すごいみことばではないだろうか。
まさに聖書を一文字で表すとしたら「愛」なのだから。
私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は花をつけて香りを放つ。わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。」(10-13)
わたしたちが天に召されるときにも、このような声が聴こえるのだろうか。
「あの方」は、こう呼びかけている。
「わが愛する者、私の美しいひとよ」
誰のことでしょうと周りを見回してはいけない。
よくよくこの言葉を見て欲しい。
これは、あなたのことなのだから。
「あの方」はくり返し、「出ておいで」と呼びかけている。
「岩の裂け目、崖の隠れ場にいる私の鳩よ。私に顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は心地よく、あなたの顔は愛らしい。」(14)
「あの方」は、わたしたちの顔が見たいらしい。
声を聞きたいらしい。
わたしたちが顔を見せて、声を聞かせることが、何よりも嬉しいらしい。
このお方を信じて、岩の裂け目、崖の隠れ場から出て、みもとに行こうではないか。
私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。あの方はゆりの花の間で群れを飼っています。(16)