みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

𠮟責を大事にする者

愚か者は自分の父の訓戒を侮る。叱責を大事にする者は賢くなる。(箴言15:5)

 

前回は、怒ることと叱ることの違いについて考えた。

今回は、“叱られる”ことについてのみことばが並ぶ。

 

道を捨てる者には厳しい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。(10)

 

嘲る者は叱られることを好まない。知恵のある者にも近づかない。(12)

 

叱られることが好きだという人はいないだろう。

誰だって、叱られるのはおもしろくない。

 

問題は、“聞く耳”があるか無いかだ。

人からの叱責や忠告に、真摯に耳を傾ける備えがあるかどうか。

 

愚かな者の特長は、5節で「侮る」、10節で「憎む」、12節では「嘲る」と表現されている。

そこからは、高慢で、頑なで、聞く耳の無い態度が浮かび上がる。

 

エスさまはよく、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。

心貧しい者、主を慕い求める者、悩める者は、聞く耳があった。

反対に、聖書をよく知っていたはずの律法学者やパリサイ人たちは、イエスを侮り、憎み、嘲って、まったく聞く耳が無かった。

 

悟りのある者の心は知識を求めるが、愚かな者の口は愚かさを食いあさる。(14)

 

知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな人はその母を蔑む。(20)

 

 

これは個人的な思いだが、叱られるのが嫌いという人は傷つきやすい人だと思う。

ちょっと注意されただけで、人格まで否定されたかのように捉えてしまう。

だから、聞く耳を持つ前に、さっと自分の殻の中に逃げ込んでしまう。

 

相手はけっして自分を否定しようとしているのではないとわきまえることができれば、落ち着いて聞く耳を持つことができるのではないか。

 

そう考えると、叱ることも叱られることも、なかなかに難しい。

 

いのちに至る叱責を聞く耳は、知恵のある者の間に宿る。訓戒を無視する者は自分自身をないがしろにする。叱責を聞き入れる者は良識を得る。(31-32)

 

 

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