みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

二人の証人

「わたしがそれを許すので、わたしの二人の証人は、粗布をまとって千二百六十日間、預言する。」(黙示録11:3)

 

黙示録も半分まで来た。

11章は、14節までが「第二のわざわい(第六のラッパ)」の続きだ。

15節からは「第三のわざわい(第七のラッパ)」に入る。

 

ここで「二人の証人」が現れる。

 

彼らは、地を治める主の御前に立っている二本のオリーブの木、また二つの燭台である。もしだれかが彼らに害を加えようとするなら、彼らの口から火が出て、敵を焼き尽くす。もしだれかが彼らに害を加えようとするなら、必ずこのように殺される。この二人は、預言をしている期間、雨が降らないように天を閉じる権威を持っている。また、水を血に変える権威、さらに、思うままに何度でも、あらゆる災害で地を打つ権威を持っている。(4-6)

 

彼らは、このように強大な権威を持っている存在だ。

冒頭のみことばにある「千二百六十日間」、つまり三年半という期間は、七年間の艱難期の前半に当たるようだ。

二人は艱難期の中間点で殺される。

 

二人が証言を終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺してしまう。彼らの死体は大きな都の大通りにさらされる。その都は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれ、そこで彼らの主も十字架にかけられたのである。(7-8)

 

この「獣」は反キリストと言われている。

反キリストは二人を殺し、いまのエルサレムの大通りにさらす。

 

もろもろの民族、部族、言語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体を眺めていて、その死体を墓に葬ることを許さない。地に住む者たちは、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を交わす。この二人の預言者たちが、地に住む者たちを苦しめたからである。(9-10)

 

世界中の人々が、テレビやインターネットを通じて「彼らの死体を眺め」ることになる。

しかも、喜び祝うという。

なんと、おぞましい光景だろうか。

昨年からのコロナ禍により、オンラインでライブ映像を見る環境が加速した。

これも、黙示録のことばを裏付ける状況と言えるかもしれない。

 

しかし、三日半の後、いのちの息が神から出て二人のうちに入り、彼らは自分たちの足で立った。見ていた者たちは大きな恐怖に襲われた。二人は、天から大きな声が「ここに上れ」と言うのを聞いた。そして、彼らは雲に包まれて天に上った。彼らの敵たちはそれを見た。(11-12)

 

世の人々のお祝いムードは「三日半」で終わる。

殺されたはずの二人が、よみがえったからだ。

彼らは天に上る。

二人の復活と昇天は、フェイクニュースを捏造できないくらい迅速に行われるだろう。

 

二人の活動を通してイスラエル民族の十四万四千人が立ち上がり、それにより世界中の多くの人たちが回心するようになる。

艱難期の前半の三年半が、ここで終わる。

 

「遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。わたしは後のことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げ、『わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。・・・わたしは、わたしの義を近づける。それは遠くはない。わたしの救いが遅れることはない。わたしはシオンに救いを、イスラエルにわたしの栄えを与える。」(イザヤ46:9-10・13)

 

 

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