みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

偽教師が現れます

しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。(2ペテロ2:1)

 

この2章は、「偽教師」に惑わされないようにという警告だ。

ペテロは彼らを「のろいの子」と呼び、その特徴について次のように列挙している。

 

  • 主を否定する(1)
  • 作り話をする(2)
  • かましく、栄光ある人たちをののしる(10)
  • 知りもしないことを悪く言う(12)
  • 昼間から飲み騒ぐ(13)
  • 人々を誘惑し、貪欲である(14)
  • むなしいことを大げさに語る(18)
  • 自由を約束しながら、自分は奴隷になっている(19)

 

こうして見てみると、あらためて思う。

要するに、"霊的な酔っ払い"ではないかと。

 

酔っ払いは、そもそも声が大きく、大言壮語してはばからない。

神を否定し、放縦に走り、あらゆることをののしる。

自由を喝采しながら、酒と享楽の奴隷となっている。

 

恐るべきことに、このような「偽教師」がキリスト者の群れの中に現れるというのだ。

パウロも、くり返し警告している。

 

「私は知っています。私が去った後、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、容赦なく群れを荒らし回ります。また、あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくるでしょう。ですから、私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。」(使徒20:29-31)

 

蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。(2コリント11:3-4)

 

次のことは、わたし自身の感覚であることをお断りした上で書いておく。

注意すべき「異なる霊」や「異なる福音」に対する、わたしの印象だ。

まず、声が大きく、派手である。

神よりも人が中心となり、人を称賛し崇める風潮がある。

みことばをねじ曲げたり、つけ足したりする。

人を静かな悔い改めに導くよりも、ある種の興奮状態にもっていく。

遠くの人に声高に伝道しながら、身近な人はないがしろにしている。

分裂があり、人が人を支配する傾向がある。

「霊の戦い」や「霊の力」をことさらに強調する、などだ。

 

ペテロは、「御使いたち」について短くふれている。

 

御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしって訴えたりしません。(11)

 

主に喜ばれるとは、どういうことなのか。

主に仕えるとは、どういうことなのか。

なによりもまず、聖書のみことばに立ち、敬虔な道をまっすぐに歩みたいと思う。

 

「今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。」(使徒20:32)

 

 

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