みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

互いに受け入れ合いなさい

ですから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。(ローマ15:7)

 

15章でパウロは、手紙の"締め"に入っていく。

そこで、もう一度言いたかったことを確認する。 

信仰の強い人、弱い人、ユダヤ人、異邦人、そのような違いを認めつつ、「互いに受け入れ合いなさい」と。

 

私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。(1-2)

 

「自分を喜ばせる」ために生きるのか、「隣人を喜ばせる」ために生きるのか。

両者は、まるで違う。

いい歳になっても「自分を喜ばせる」子どもじみた人もいれば、若くても「隣人を喜ばせる」大人な人もいる。

 

キリストもご自分を喜ばせることはなさいませんでした。(3)

 

エスさまご自身、こう言われた。

 

「あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10:44-45)

 

15章では、パウロの行動についても知ることができる。

彼は、ギリシアで集めたお金を、エルサレムの貧しい兄弟たちに届けようとしていた。(26)

また、ローマだけでなく、イスパニア(スペイン)にまで伝道しようと考えていた。(28)

 

そして、ローマの兄弟たちに、自分の働きのために祈ってくれるようお願いする。

 

兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によってお願いします。私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。

私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように、また、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところに行き、あなたがたとともに、憩いを得ることができるように、祈ってください。(30-31)

 

パウロほどの人が、兄弟たちに「祈ってください」と頼んでいる。

それは彼が、

  • 祈りによってつねに行動していた
  • みなの祈りがひとりの祈りにまさると知っていた
  • 祈りの力を信頼していた

からであろう。

 

「祈ってください」と、すなおに言える姿勢を見習いたい。

 

「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)

 

 

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