みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

自分を知恵のある者と考えないように

兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、こうして、イスラエルはみな救われるのです。(ローマ11:25-26)

 

優れた教師は、質問を効果的に使う。

 

それでは尋ねますが、神はご自分の民を退けられたのでしょうか。(1)

 

それでは尋ねますが、彼らがつまずいたのは倒れるためでしょうか。(11)

 

いずれもパウロは、「決してそんなことはありません」と付け加えている。

そして、イスラエルは退けられたわけでも、倒れて終わるわけでもなく、「みな救われる」との結論に導く。

 

優れた教師は、比喩を効果的に使う。

パウロは、異邦人信者を野生種のオリーブに、イスラエルを栽培種のオリーブに例えた。

 

あなたが、本来野生であるオリーブから切り取られ、元の性質に反して、栽培されたオリーブに接ぎ木されたのであれば、本来栽培された枝であった彼らは、もっとたやすく自分の元のオリーブに接ぎ木されるはずです。(24)

 

だから、あなたがた異邦人信者は、救われたことを誇ってはならないし、自分を知恵のある者であるかのように考えてはならないと、パウロは主張しているのだ。

 

これは自らを省みて書くのだが、わたしなどは、頑なに主を拒む人や、まったく関心を示さない人を見ると、心の中でその人を見下げる思いになったりする。

そして、いつの間にか、「自分は真理を知っている」的な、傲岸不遜な心に陥っている。

その態度が、主の前にいかに恥ずかしいものであるか。

 

主の憎むものが六つある。いや、主ご自身が忌み嫌うものが七つある。高ぶる目、・・・(箴言6:16-17)

 

感謝をもって主を見上げていた目が、誇り高ぶって人を見下げる目に変わる。

パウロは、それを強い言葉で警告した。

 

ですから見なさい、神のいつくしみと厳しさを。倒れた者の上にあるのは厳しさですが、あなたの上にあるのは神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り取られます。(22)

 

ここから守られるには、何がたいせつだろうか。

それは、救われるために自分は何の貢献もしておらず、ただ神があわれんでくださったゆえなのだと、心から知ることではないだろうか。

そこには素直な喜びがあり、周りへの愛がある。

 

主よ、わたしを傲慢の罪からお守りください。

 

神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです。ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。(32-33)

 

 

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