どの人よりもたくさん投げ入れました
すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。」(マルコ12:43)
当時の献金箱は、ラッパ状の投げ入れ口が並んだものだったそうだ。
そこに多くの人がやって来ては、献金していた。
立派な身なりをした金持ちたちもいた。
大きな袋を逆さにして、ジャラジャラと大金を投げ入れた。
ある人は10万円、ある人は50万円、ある人は100万円。
そこに貧しいやもめが、やって来た。
カランカランと、200円分の乾いた音。
周囲から、哀れむような、また、蔑むような視線が、彼女に向けられた。
しかし、イエスさまのまなざしは違った。
「この貧しいやもめは、・・・どの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」(43-44)
明日のパン代だったかもしれない所持金のすべてを、彼女は惜しむことなくささげた。
この記事を読むと、すなおに思う。
よくそんなことができるな、と。
なぜ、彼女は生活費をすべてささげるようなことができたのだろう?
これまでもずっと、そうしてきたのかもしれない。
あるいは、思いきって神にのみ頼る信仰を、踏み出したのかもしれない。
さらには、イエスさまが語られたみことばを、聞いていたのかもしれない。
するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(17)
いずれにせよ彼女は、全幅の信頼を神に置くということを示した。
そして、それをイエスさまだけはわかっておられた。
金持ちたちはやがて忘れ去られたが、この貧しいやもめは、福音書に記されることで、後世の人々に称賛される者となった。
主のなさることは、ほんとうに不思議だ。
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(1サムエル16:7)
人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。(箴言16:9)