みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

最も小さい者たちのひとりに

「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(マタイ25:40)

 

主は、「小さい」ことにわたしたちがどう関わっているかを、見ておられる。

小さい者、小さいお金、小さい時間、小さい用事、小さい賜物、など。

 

しかし、わたしたちは、これら小さいことを気に留めず、大きなことにばかり目を向けがちではないだろうか。

目立つもの、派手なもの、影響力の強いもの、称賛されるようなもの、などに。

 

「忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。」(マタイ23:23)

 

主は目にもとまらないような「小さい」ことをとおして、大きな祝福を注ごうとされる。

 

「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」(マタイ13:31-32)

 

ここでひとつ、慰めがある。

それは、主は大きなことを実行せよとは言っておられない、ということだ。

そうではなく、小さなことをたいせつにせよと、教えておられる。

 

「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を与えよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(21)

 

きょう、わたしが関わる「小さい」こととは、何だろう。

見落とさないように、忠実に関わりたい。

 

何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。(コロサイ3:23-24)

 

 

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