忠実な思慮深いしもべ
「主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。」(マタイ24:45-46)
マタイ24章では、ご自身の再臨や世の終わりの前兆について、イエスさまが弟子たちに詳しく教えておられる。
そのなかで、「忠実な思慮深いしもべ」と「悪いしもべ」のたとえ話をされた。
「忠実な思慮深いしもべ」とは、どんなしもべだろうか?
第一に、主人を敬い、主人に全幅の信頼を寄せている。
だからこそ彼は、主人に忠実であることに喜びを見出す。
悪いしもべは、主人を完全に侮っている。
ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい。』と心の中で思い、(48)
第二に、忠実なしもべは、仲間のことをたいせつにする。
食事時には、「きちんと」食事を与え、怠るようなことはない。
悪いしもべは、仲間をも侮る。
その仲間を打ちたたき、(49)
第三に、忠実なしもべは、主人から信頼されてあとを「任された」ことを自覚している。
「任された」とは、託されたことであり、だからこそ「思慮深く」管理する。
悪いしもべは、主人のものをわがものとし、勝手に乱用する。
酒飲みたちと飲んだり食べたりし始め・・・(49)
第四に、忠実なしもべは、主人の帰りにつねに備えている。
彼にとっては、主人が帰って来たときに、「よくやった。良い忠実なしもべだ」というお言葉をいただくことが、待ち遠しい瞬間だ。
悪いしもべは、「まだまだ帰るまい」と考えているので、主人が帰って来たら慌てふためく。
そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。(50)
主人を敬い、主人に信頼されていることを喜び、主人のおほめの言葉を最高の栄誉と考えるしもべは、きょうこの日も、主人を待ちながら、任されたものを忠実に管理しようとするだろう。
きょうを、そのように生きたい。
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(1ペテロ4:10)
しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。(1テサロニケ5:4-6)