おおらかな人は豊かにされ
おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。(箴言11:25)
この直前には、こうある。
気前よく施して、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんで、かえって乏しくなるものがある。(24)
わたしのような貧乏性は、つい、「いやいや、富んでいるから気前よく施すことができるんでしょう」と言いたくもなるのだが、読者のみなさんはどうだろうか。
「正当な支払いを惜しんで」とある。
要するにケチくさいわけだが、そもそもそういう者は「正当な支払い」すらしていないのではないだろうか。
わたしも商売を営む身として、ハッとさせられる。
「料金以上には与えませんよ」という考えが少しでもあると、その分も与えないことになるのでは、ということだ。
あくまでも、おおらかに与え、気前よく施し、他人を潤す。
その結果、お礼の気持ちとして料金をいただく。
そんなふうでありたい。
報酬という点では、次のようなおもしろいみことばもある。
悪しき者は偽りの報酬を得るが、義を蒔く者は確かな賃金を得る。(18)
「偽りの報酬」とは、多分にギャンブル性の高いものであろう。
それとは反対に、「確かな賃金」は地道なものだ。
自分の収入は「確かな賃金」か「偽りの報酬」か、そしてどちらを選ぶか。
このように箴言は、「富」に関する格言も多々あっておもしろい。
自分の富に依り頼む者は倒れ、正しい人は若葉のように芽を出す。(28)
「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます。あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。」(ルカ6:38)