みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

助け主

「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」(ヨハネ16:7)

 

「助け主」というのは、おもしろい言葉だ。

「主」が「助ける」というのだから。

日本語の聖書では、文語訳ですでに「助主(たすけぬし)」となっている。

ほかには「弁護者」(新共同訳)という訳もある。

 

英語の聖書ではどうなのだろうと調べてみると、「Helper」「Counselor」「Advocate」などがある。

 

「助け主」とは、弁護人、助言者、伴走者といった意味合いか。

 

エスさまは、この「助け主」が遣わされることについて、くり返し語られた。

 

「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(ヨハネ14:16)

 

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

 

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネ15:26)

 

ヨハネ伝は、イエスさまの多くの言葉を記しているが、これまでは「父なる神」と「子なる神」についての証言が中心だった。

ところが、天に上げられることが間近となったいま、主は「もうひとりの助け主」、「御霊なる神」について教え始められたのだ。

 

そして、イエスさまが天に引き上げられたあと、約束どおり「助け主」なる聖霊が遣わされた。

以来、今日に至るまで、「聖霊の時代」といわれる。

 

わたしたちキリスト者は、キリストのからだであり、聖霊の宮である。

この聖霊は、わたしたちの内にはたらいて、わたしたちをすべての真理に導き入れ、わたしたちをとおして主イエスの栄光を現わされる。(13-14)

 

「その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。」(ヨハネ14:20)

 

この不思議な真理は、父のもとから遣わされた「御霊なる神」によってなされる。

 

さらにイエスさまは、こうもおっしゃった。

 

「しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。」(32)

 

このみことばになぞらえるなら、わたしたち主を信ずる者もひとりではない。

父と御子と御霊が、いっしょにおられるのだから。

ひとりぼっちにはなれないのだ。

わたしたちは、父・御子・御霊の大いなるトライアングルの中に取り込まれている。

なんと勇気づけられる真理だろう。

 

この「助け主」についてイエスさまは、

 

「世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ14:17)

 

と語られた。 

わたしたちキリスト者は、主の恵みによってこの偉大な真理に導き入れられた。

御霊によって「アバ、父」と呼び、御子の栄光を現わし、この地上を力強く歩んで行こう。

 

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(2コリント3:18)

 

 

 

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