妻のいる人は妻のいない人のように
兄弟たち、私は次のことを言いたいのです。時は短くなっています。今からは、妻のいる人は妻のいない人のようにしていなさい。(1コリント7:29)
コリントの人たちは、パウロに事前に手紙を書き、「結婚」に関する諸問題について質問していた。
それに対する回答が、7章だ。
結婚したほうがいいのか、しないほうがいいのか。
離婚はしてもよいものか。
夫か妻の片側だけが信者である場合は、どうすればいいか。
これらひとつひとつに答えながらも、パウロは結論的にこう書いた。
ただ、それぞれ主からいただいた分に応じて、また、それぞれ神から召されたときのままの状態で歩むべきです。私はすべての教会に、そのように命じています。(17)
このことは、一度ならず、何度もくり返している。
それぞれ自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。(20)
兄弟たち、それぞれ召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。(24)
そして、冒頭のように書いた。
時は短くなっています。(29)
主の再臨が念頭にあると思われるが、続くことばでパウロは、世事にのめり込まないようにと警告する。
泣いている人は泣いていないかのように、喜んでいる人は喜んでいないかのように、買う人は所有していないかのようにしていなさい。世と関わる人は関わりすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。(30-31)
たしかにわたしたちは、この世に暮らしながら、泣いたり、笑ったり、ビジネスをしたりしている。
問題は、それに夢中になったり、思い煩ったりすることで、主を見上げる目が消えることだ。
しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです。(33-34)
そしてパウロは、キリスト者がこの世に生きる目的について思い出させる。
私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。(35)
結局のところ、結婚するかしないか、何の仕事をするか、あれかこれか、といったことは絶対的に大切なことではないということだろう。
結婚するのもしないのも、この仕事をするのもしないのも、あれもこれも、「ひたすら主に奉仕する」ためなのだ。
これがわたしたちの軸となるなら、不要な「思い煩い」から解放されるのではないだろうか。
「ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイ6:31-33)