わたしとともにパラダイスにいます
そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:42-43)
イエスさまとともに、二人の罪人が、イエスさまの左右で十字架につけられた。
マタイとマルコは、十字架につけられたあと、二人とも、隣りにおられるイエスさまをののしったと記している。
イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。(マタイ27:44)
また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。(マルコ15:32)
しかしルカだけが、二人のうち一人が救われたことを明記している。
ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」(40-41)
そして、冒頭の会話へとつづく。
はじめはイエスをののしっていた彼も、激しい苦痛にしだいに息が絶え絶えになり、意識がもうろうとし始めた。
そのとき、先ほど聞こえてきたイエスさまの祈りを思いだしていたのではないだろうか。
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(34)
(ああ、この方は、ほんとうに神の子なのだ)
彼は、瞬時に悟った。
そして、十字架の上で悔い改めた。
この件から、いくつもの重要な真理がわかる。
- どんな人間であっても救われる
- 死の間際でも救われる
- 救われるために洗礼を受けたり教会に通ったりする必要はない
- 救われるために多くの知識も必要ない
- 光が与えられれば一番大切な真理を悟ることができる
- 地上の息が絶えても即座にパラダイスに移る
などだ。
特に5.については、この男が「御国の位にお着きになるときには」と言っていることに注目したい。
ユダヤ人たちは、キリストが来ればすぐにでもイスラエルの国が再興すると考えていた。
イエスにそれを期待したのに、そうではなかったことで失望したのだ。
しかし彼は、イエスさまがたんに地上のイスラエルの王ではなく、「御国」の王であることを悟った。
主の恵みによって、目が開かれた結果だ。
もっとも何もできない状況の人でも、救われる。
主の御名をほめたたえよう。
みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。(詩篇119:130)
私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。(ガラテヤ1:12)