ひとりひとりに手を置いて
日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。(ルカ4:40)
多くの人が、日が暮れたにもかかわらず、身内かもしくは友人か、自分では歩けないほど弱った病人をかかえて、イエスさまのもとにやって来た。
なんとうるわしい光景だろう。
と同時に、なんと悲しい光景だろう。
それほど、この地上は、痛みや苦しみに満ちている。
イエスさまは、その「ひとりひとりに手を置いて」いやしてくださった。
弱った人に置かれる、その手を想像してみる。
どれほど優しく、温かく、力に満ちた手であることか。
そして、病む人たちが、どれほど希望を寄せた手であることか。
イエスさまは、アヤしい宗教家がやるように、集団に向かって手をかざし、十把一絡げに治すようなことをされなかった。(やろうと思えば、できたはずだが。)
そうではなく、ひとりひとりに向き合い、手を置かれたのだ。
イエスさまとは、そういうお方だ。
きょう、主は、わたしにも手を置いてくださる。
その御手を、信仰をもって受けとめよう。
主の愛と、御力によって、立ち上がろう。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。(イザヤ42:3)