みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

イエスもバプテスマをお受けになり

さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ3:21-22)

 

バプテスマのヨハネが民衆にさずけていたのは、「罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマ」(3)であった。

したがって、罪のないイエスさまに、バプテスマを受ける必要は、本来なかった。

 

しかし、イエスさまは、ヨハネに言われた。

 

「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」(マタイ3:15)

 

いかにイエスさまがバプテスマをたいせつに考えておられたか、ということだ。 

エスさまが水から上がられると、天から聖霊が鳩のように下られ、また、神の声が響いた。

 

一般的に「天」は、手が届かないほど高い所として表現される。

しかし、イエスさまにとっての「天」は、ごくごく近いものだっただろう。

そこは「天の父」がおられる場所であり、いつでも仰ぎ、祈ることができる場所なのだ。

 

クリスチャン̪詩画人の星野富弘さんに、「ざくろ」という詩がある。

 

ざくろ

ここは何かの中なのでは

ないでしょうか

木の実の中の一粒の種のように

ある日空がパッカリ割れて

そこにあなたの顔があるような

そんな気がして

ならないのです

 

祈りがどこか形式的になり、力や喜びを失っているときは、「天」を見上げて祈るのがいい。

わたしもまた、そこに御父の大きな優しい顔があるような気がする。

 

地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。(イザヤ45:22)

 

 

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