みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

御心にかなう人々

すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:13-14)

 

羊飼いたちの、驚いて天を見上げる顔が、目に浮かぶようだ。

突然、光に照らされ、御使いが語り、天の軍勢によるコンサートが繰り広げられたのだ。

それは、キリストの誕生を告げ知らせるという、歴史的なできごとであった。

 

「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(11)

 

それにしても、なぜ御使いは羊飼いたちに現われたのだろうか。

ひとつだけ言えるのは、彼らが「御心にかなう人々」であった、ということだ。

 

ルカ伝では、ここまでの2章の間に、すでにそのような人が何人か登場している。 

たとえば、バプテスマのヨハネの両親、祭司ザカリヤと妻エリサベツだ。

 

ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。(1:5-6)

 

幼子イエスを両親がエルサレムの宮に連れ上ったときに、出会った二人の老人もそうだ。

 

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。(25)

 

また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。(36-37)

 

神は彼らに目を留め、ご自身の計画を啓示することをよしとされた。

彼らはまさしく「御心にかなう人々」であったのだ。

 

彼らは一様に、神を恐れ、敬虔で、主を待ち望み、コツコツと地道な信仰の歩みを積み重ねていたことが見てとれる。

特にシメオンとアンナにおいては、キリストを拝するまでにどれほどの日々があったことか。

 

派手さはなくとも、主の前に「御心にかなう人々」とみていただけるような、敬虔な歩みを重ねたいものである。

 

・・・敬虔のために自分を鍛錬しなさい。肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。(1テモテ4:7-8)

 

 

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