みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

まだ悟らないのですか

「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」(マルコ8:20-21)

 

四千人を七つのパンと少しの魚で満腹させたあと、イエスさまは舟の中で弟子たちに言われた。

 

「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」(15)

 

このとき弟子たちは、余りのパン切れを集めたかごを忘れ、パンはひとつしかなかった。

 

「ほら、イエスさまがパンのことを言っておられるぞ。だから、言ったこっちゃない。あのとき、あそこにかごを置いておくぞって言っただろう」

「いや、お前がそう言うから、てっきり持って来るとばかり思ってたんだよ。俺は持って来るようにとは聞いてないぞ」

「それくらい、ふつう、察するだろう。どうするんだこのあと、食べ物なんか無いぞ」

「知らないよ、お前こそ、人のせいにするなよ」

 

ぶつくさとやり合っている弟子たちを見て、イエスさまは嘆息されたことだろう。

 

こんなとき、パワハラ上司だったらぶち切れて、怒鳴りちらすところだ。

「お前ら、いい加減にしろ。全員クビだ」

 

あるいは、ねちねちと長いお説教をするかもしれない。

「あのですね、君たちはいつもそうだ。先週もそうだった。その前にもこんなことがあった。云々かんぬん」

 

エスさまは、嘆きながらも、弟子たちにご自身がどういう方かを思いださせようとされた。

 

「わたしが五千人に五つのパンを裂いて上げたとき、パン切れを取り集めて、幾つのかごがいっぱいになりましたか。」(19)

「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、・・・」(20)

 

わたしたちは、弟子たちの姿を見て、笑うかもしれない。

しかし、主から見れば、この弟子たちと同じようなことを、わたしたちもしょっちゅうやっているのではなかろうか。

的外れで、すぐに議論したり、競争したり、イエスさまはそっちのけだ。

 

それでもイエスさまは、忍耐強く導いてくださり、わたしたちを投げ出そうとはされない。

そのことを感謝したい。

 

わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。(詩篇32:8-9)

 

また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。(2ペテロ3:15)

 

 

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