みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

人はパンだけで生きるのではなく

すると、試みる者が近づいて言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるよう、命じなさい。」
エスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:3-4)

 

四十日四十夜の断食のあと、イエスさまは、悪魔の試みを受けられた。

三つの誘惑に対し、イエスさまはすべて聖書のみことばをもって退けられた。

 

「人はパンだけで生きるのではなく」というみことばは申命記8章からの引用だが、この章には神がイスラエルの民を「試みた」ことが書いてある。

 

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。(申命記8:2-3)

 

悪魔の試みは、人をだまし、ふしあわせにし、最終的に悪魔自身を拝ませようとする。

神の試みは、人をきよめ、訓練し、最終的に人をしあわせにするためだ。

 

あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。(申命記8:5)

 

あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。(申命記8:16)

 

世間一般では、人はパンだけで生きるのではないのだから、心の面、精神的なしあわせを大切にすべきである、といったニュアンスでいわれることが多いと思う。

しかし聖書が告げているのは、人がほんとうの意味で生きるのは、「神の口から出るすべてのもの」すなわち「神の口から出る一つ一つのことば」によるのであり、それはイエスさまご自身である、ということだ。 

わたしたちは聖書をとおしてイエスさまを知り、イエスさまとの交わりをとおして聖書を糧に生きることができるのだ。

 

「生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。これは、天から下って来たパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」(ヨハネ6:57-58)

 

 

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